八ッ場ダムに沈む遺跡たち
八ッ場ダム建設予定地で、文化財保護法に基づく遺跡発掘が進んでいます。
これまで多数の遺跡が見つかり、縄文時代、平安時代、江戸時代のこの地方の生活を現在に伝えてくれています。
10月22日八ッ場ダム建設予定地を視察しました。
日本共産党からは、塩川鉄也衆議院議員、伊藤裕司・酒井宏明両群馬県議、柳下礼子埼玉県議他、秘書、事務局ら10人が参加しました。
群馬県からは
県教育委員会文化財保護課西田課長はじめ柿沼主幹、須藤次長、洞口次長。公益財団法人群馬件埋蔵文化財調査事業団 中沢所長ほか調査担当のみなさん
多数が迎えて下さいました。
湖面に沈む東宮遺跡
東宮遺跡はちょうど湖面に沈む位置にある遺跡です。
大きな屋敷の他に数軒の屋敷跡が発見されています。特に村の中心人物の屋敷とみられる建物は水につかっている部分が後半にあります。そのため、当時の生活用品などの保存状態が良く、木材までが残っていました。
写真は出土したばかりの下駄 下駄は全部で八〇個出土しており、当時の風俗がよくわかります。
天明3年(今から229年前)の浅間山噴火は文献や言い伝えが残っていますが、こうして保存状態のよい日用品からは、当時の生活の様子が生々しく推理できます。
文化財保護法の対象は近世より前ですが、群馬県は、災害の様子を正確に伝える東宮遺跡を文化財保護の対象としています。
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うちわまで残っている!(出土直後に撮影した写真を撮影しました) |
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梅干しは果肉までついていたそう |
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子どもの下駄まで出土(これは直接現物を撮影しました) |
このほか多数の出土品について、中沢事務所長が熱く説明して下さいました。
遙かに豊かな山村の生活
東宮遺跡で発見された日用品からは、海から遠く稲作のできない山村が、想像を遙かに超えた豊かな生活をしていたことがわかります。
たくさん遺跡から出土している繭や馬糞から、養蚕や馬による輸送業や酒づくり・麻栽培などが豊かな収入をもたらしたとも想像されています(東宮遺跡のパンフより)
保存の良さは東宮遺跡の保存状態が良いのは、浅間山の噴火による泥流が吾妻川を下ってきて、吾妻渓谷入り口でいったんせき止められ、その後逆流してゆっくりと集落を覆ったからだと言われます。村から死体は発見されておらず、村人は避難する余裕があったことが伺えます。ゆっくりと泥に覆われ、豊富な湧水に包まれて、貴重な出土品は220年間眠っていました。
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