埼玉県原爆死没者慰霊式に柳下団長参加
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韓国から「平和の木」合唱団が駆けつけて歌ってくれました。
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被爆67周年第27回埼玉県原爆死没者慰霊式が7月29日さいたま市内の別所沼公園内にある慰霊碑の前で今年も行われました。
主催は、埼玉県原爆被害者協議会 埼玉県原爆死没者慰霊式実行委員会 埼玉県地域婦人会連合会 埼玉県生活協同組合連合会 埼玉県平和運動センター 原水爆禁止埼玉県協議会です。
埼玉県とさいたま市が後援しています。
慰霊碑について
67年前の広島と長崎で被爆し、現地で死亡または帰郷後に死亡した埼玉県民、また被爆者で、埼玉県に移住して後死亡した人など、核兵器の犠牲者にふさわしい弔意を捧げ、2度と被爆者をつくらせぬとする被爆者の悲願と県民の核兵器廃絶への決意を後世に残すために、建立された。
被爆40周年を祈念して昭和61年7月12日全県2000名を超える県民有志からの募金によって建てられた
田中埼玉県原爆被害者協議会会長の開会あいさつ、黙祷などののちに各来賓からごあいさつがあり、日本共産党を代表して塩川鉄也衆議院議員が被爆者への十分な保障や、核兵器廃絶への決意を語りました。来賓は公明、民主、生活、共産、社民など自民党をのぞく幅広い党派が参加して、核兵器廃絶を誓いました。日本共産党からは柳下礼子県議と守谷千津子さいたま市議が参加しました。
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社民党・共産党・民主党県議による献花 中央が柳下県議です。 |
そのあと、参集者による献花。青年の姿もたくさん見られました。
平成23年死没者紹介ではシラサギ会16名の方が新たになくなられたことが発表されました。
高校生と女子大生による平和の活動の報告と誓いの言葉に、高齢の方たちが何度も頷いていました。被爆者の思いが若い世代に引き継がれていることが、確かな形で証明されていました。
被爆者の証言の朗読では、3歳の時に被爆した方の後遺症に苦しむ人生が語られていました。何度も何度も訪れる「原爆ぶらぶら病」と言われる無気力状態。突然の失神。放射能は時を超えて、世代を超えてその影響を及ぼし続けるのだと、改めてその特殊性を会場の人々の心に訴えかける証言でした。
2時間近くの猛暑の中での慰霊祭は「原爆許すまじ」の全員合唱で幕を閉じました。あちこちから、すすり泣きが聞こえる合唱でした。
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