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県政トピックス

岩手県視察その4 陸前高田市 震災の爪痕と人々の暖かさ
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5月15日、午後住田町から陸前高田市へ移動
昨年亡くなった中里長門元市長宅と県立陸前高田病院を訪問しました。


東日本大震災による陸前高田市の被害
全壊 3159戸
大規模半壊97戸 半壊85戸 一部損壊 27戸
総人口24246人(平成23年3月11日)
生存確認数 22180人(平成24年2月)
死亡者 1691人 行方不明者 41人 
市内での遺体発券数 1555人




1年たって、深刻なダメージ
中里元市長のお宅で、藤倉泰治陸前高田市議のお話を伺いました。

藤倉議員は市役所内で大地震に遭遇し、市の重要産業であるカキ養殖施設への津波被害を確認するために高台に向かい、大津波を目撃したとのことです。カキをはじめとする養殖業は2010年のチリ大地震による津波でも大きな被害を受けていました。

陸前高田の震災がれきは、田んぼの土にさまざまなものが混ざったものが中心。藤倉議員によると、陸前高田のがれきの量は仙台と同じくらいなのだそうです。

市外に避難していた人が徐々に市内に戻ってきていて、市内の仮設住宅の空きを待っている人が100世帯にのぼるそうです。藤倉議員からは、生活再建へ独自の補助制度など市の施策について説明してもらいました。被災した個人には支援制度があっても、個人商店や町工場などには支援のしくみがありません。陸前高田市はそこに光を当てているとのことでした。





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中里元市長の夫人にもお話を伺いました。

このお宅は山間部でしたが、川を伝わって津波が50メートル下の国道まで大量のがれきを残していったそうです。ここでは井戸を使っていたので、震災直後も水は使用でき、古い竈を出してきておにぎりをつくって、避難する人たちに配ったそうです。
大きな和室にはいろりも切ってあり、被災者2家族とともにこのいろりの周りで夜を明かしたと言います。

震災の心の傷は1年たっても深刻。中里家のお近くに住み高齢の女性は家族4人と車で流され1人生き残り、がれきの中から救い出されたそうですが、水が怖くてお風呂に入れないといいます。
この中里宅も元市長を亡くしているのですが「家族で1人の死亡というのは、この町ではましなほうなのよ」と夫人は語っていました。




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沿岸部へ
沿岸部を藤倉市議に案内していただきました。
1年間たったというのに、いまだ、津波の跡は生々しく残されています。
写真は旧陸前高田市役所の跡
1階から3階まで津波で流されました。
多くの職員が職務を離れることができずに犠牲になりました。



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仮設病院で入院受け入れ。県立陸前高田病院を訪問

病院では石木幹人院長と鈴木吉文事務局長が応対して下さいました。
沿岸部にあった病院は津波で全壊し、職員は患者さんとともに屋上に上がり救出されました。

被災直後から病院長は避難所を巡り、被災者の健康状態を把握。3月13日には近くのコミュニティセンターで診療を開始しました。開始したとたん100人もの患者が来たそうです。14日には他の県立病院医師と看護師が支援に来て、本格的に診療が始まりました。
院長が特に留意したのは、糖尿病など一般的な病気の検査機材と薬を集めることです。
検査機材はメーカーから直接支援があり、2週間ぐらいでそろい、3週間ぐらいで薬局も立ち上げることができたといいます。

7月には仮設建物で診療所がオープンし、今年春から入院も受け入れができるように。仮設病院での入院受け入れは全国でここだけだそうです。
ベッドは41床(被災前は70床)

震災に向けて何が必要ですか?
という、柳下団長の問いかけに対して、院長は「想定することが難しい災害に対して、ブロックごとに完結するスタイルの確立」と答えました。




市内を藤倉陸前高田市議と佐々木住田町議が案内してくれました。ありがとうございます。中里さん、石木病院長、鈴木吉文事務局長ほんとうにお世話になりました。


左が藤倉陸前高田市議
左が藤倉陸前高田市議




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