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共産党の被災者支援センターの一つ 伊達政宗公ゆかりの方からお借りしているとか・・・なるほど、瓦屋根や欄間の重厚さが違います。 |
被災地仙台市を視察してきました。
第1日目ー津波による全壊地区へ
日本共産党埼玉県議団の2県議は、6月9日10日の2日間仙台市視察を行いました。
視察日程は、以下の通りです。
6月9日 午後1時 日本共産党宮城野支援センターへあいさつ
午後2時 宮城野区六郷中学校へ 案内の方と待ち合わせ
地元の方の案内で、宮城野区・若林区の津波全壊地区訪問
6月10日 午前7時半 駅頭で「被災地情報」配布
午前10時 仙台市内 損壊建築物視察
仙台港付近視察
午後3時半 日本共産党宮城県議団訪問・懇談
以下2回に分けて、ご報告します。
6月9日(木)午後1時、日本共産党の宮城野支援センターに到着。
埼玉県より大学生から高齢者まで大勢のボランティアの方たちが集まっていました。中には軽トラックに野菜をのせて駆けつけた農家の方もいらっしゃいます。
午後2時より、宮城野区避難所になっている六郷中学を巡り、地元の方の案内で海沿いの全壊地区を訪問しました。
宮城野区三本塚地区
はじめに案内の方の出身地区を訪ねました。途中で国道45号線をくぐるとあたりの様子は一変!!あちこち何もない平原が広がります。「だいぶがれきの撤去が進みまして・・・。」案内の方が繰り返し「直後はこんなものではなかった」と話しておられたのが印象的でした。
遠くに海岸からの海風を遮る防風林がまばらに見えます。津波前にはこの林は分厚く集落を守っていたそうです。これらが根こそぎ流されて、案内の方の自宅周辺に、多数転がっていました。地上から1メートル半ほどの高さまで波が押し寄せ、たくさんの流木やがれきによって1階部分が破壊されてしまいました。また、ヘドロ状のものが大量に残され「くさくてたまりません」とのことです。
続いて、津波によって根こそぎ集落が流されてしまった藤塚地区へ・・・
90軒以上の集落が土台を残して根こそぎ流されました。たった1軒残る家が哀しい。
残る樹木の葉の状態から察して、3メール以上の波が襲いかかったと思われます。
当日は「防災無線は聞こえなかった。直後に電気が消えてテレビのニュースも見られなかった。車のラジオをつけていた人が気づいて、人から人へ津波警報が伝わっていった」そうです。この状況の中、逃げ遅れた方もたくさんいたはずです。
藤塚地区の脇を流れる名取川。その側で、国土交通省が堤防の復元工事を行っていました。国土交通省の作りかけの低い堤防は、津波に対して何の効果もありませんでした。
「無駄な工事はやめてほしいと批判していたんですが・・・」案内の方が語ってくれました。
続いて、早くから多数の遺体発見と報じられていた、若林区の荒浜方面へ。
途中の農道の脇に沿って、陥没が多数でき、水たまりになっていました。砂地の液状化現象です。
荒浜付近の海水浴場へ行きました。海辺の松の木がねじ曲がって折れているのがわかりますか?津波の破壊力を思い知らされます。
遠くに、コンクリートの建物が残っているのがみえました。
防災ヘリ基地だそうです。
「こんな海辺に防災基地をつくったら危険だと指摘していたんです。ヘリはみんな津波で流されましたよ。いざというとき役に立たない防災基地でした。」
憂慮していたことが現実となってしまいました。
最後に宮城野区の仮設住宅に行きました。
まだ30軒ほどですが、やっと完成したプレハブです。
4.5畳の2DKという狭さです。
宮城県は仮設住宅の建設を、「品質確保」の名の下に
県外の大手業者に請け負わせています。
「工事している人たちが、関西弁をしゃべっていた」案内の人が話してくれました。
被災地の願いは地元の業者を使ってほしいということです。
また「仮住まい用の仮設住宅を建てるのではなく、ここにずっといていいですよ、という市営住宅を造ってほしい」とも。
この辺で、初夏の遅い夕暮れがやってきました。
さすがに、東北はまだ寒い。
今年の夏の暑さが少しでもしのぎやすくなることを祈りつつ
仮設住宅を後にしました。